クリスティアン・カウツ(Christian Kautz, 1913年11月23日 - 1948年7月4日)は、スイスのレーシングドライバー。1937年から1939年にかけてグランプリレース(ヨーロッパ・ドライバーズ選手権)を戦った。
経歴
スイスの富豪の銀行家の息子として生まれた。オックスフォード大学でイギリス文学の学士号を取得。
1936年末に友人のリチャード・シーマンらとともにダイムラー・ベンツのワークスチームであるメルセデスチームのオーディションを受け、シーマンとともに同チームに採用された。
1937年はメルセデスチームから参戦し、モナコグランプリでは、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ、ルドルフ・カラツィオラに次ぐ3位に入り表彰台に立った。結果として、この年がキャリアのピークとなる。
1938年はアウトウニオンに移籍したものの、選手権レースでは全てリタイアし、1年のみで同チームを去った。1939年には自身のチームを設立し、ドライバーとしてルイジ・キネッティとイブ・マトラを雇って参戦した。
第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に移住し、ロッキードで飛行機のテストパイロットとして働いた。
死亡事故
終戦後はプライベーターとしてマセラティを駆ってレースに復帰したが、1948年にブレムガルテン・サーキットで開催されたスイスグランプリで事故死した。
レース戦績
AIACRヨーロッパ選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。
- 1939年のヨーロッパ・ドライバーズ選手権は8月に開催されたスイスGPを最後に中止されたため、統括団体のAIACRは正式なランキングを発表していない。前年と同じルールでポイント換算した場合の順位とポイントを( )内に示した。
エピソード
- カウツの父親はドイツ銀行の理事を務めており、同行の理事でダイムラー・ベンツの監査役会の重鎮でもあるエミル・ゲオルク・フォン・シュタウスとは知り合いだった。1936年末にメルセデスチームがニュルブルクリンクで行ったオーディションは、アルフレート・ノイバウアーが招待した若手ドライバーにより行われたものだったが、シュタウスの口利きにより、ノイバウアーは渋々カウツも参加者に加えた。ノイバウアーはカウツに期待していなかったが、カウツは意外な速さを見せてノイバウアーを驚かせ、同チームに採用された。
脚注
注釈
出典
- 出版物
- ウェブサイト
参考資料
- 書籍
- Alfred Neubauer (1958). Männer, Frauen und Motoren. Hans Dulk. ASIN 3613033518
- アルフレート・ノイバウアー(著) 著、橋本茂春 訳『スピードこそわが命』荒地出版社、1968年。ASIN B000JA4AOS。 NCID BA88414205。NDLJP:2518442。
- アルフレート・ノイバウアー(著) 著、橋本茂春 訳『メルセデス・ベンツ ─Racing History─』三樹書房、1991年3月3日。ASIN 4895221482。ISBN 4-89522-148-2。 NCID BB04709123。
- 赤井邦彦(著)『シルバーアロウの軌跡: Mercedes‐Benz Motorsport 1894〜1999』ソニー・マガジンズ、1999年10月28日。ASIN 4789714179。ISBN 4-7897-1417-9。 NCID BA46510687。
外部リンク
- Christian Kautz - Mercedes-AMG Formula One Team (英語)



