マシュー・ランデル(Matthew Randel , 1977年2月15日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州出身の元プロ野球選手(投手)。韓国球界での登録名は、랜들。
来歴
1995年のMLBドラフト84巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名されたが、これを拒否。その後ルイスアンドクラーク州立大学に進学したが、環境に馴染めず中退。
1999年5月に福岡ダイエーホークスの入団テストを受験し、合格・入団が決まる。当時22歳でプロ経験も全くなかったため、ダイエーとしては完全に育成目的での獲得であり、年俸はドラフトで下位指名された高卒選手並みの480万円であった。1年目から二軍戦で活躍し、2年目の2000年には一軍初登板も経験したが、シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。その後一時現役を引退していた。
2002年に独立リーグ・ユナイテッドリーグ・ベースボールのフォートワース・キャッツへ入団し、現役に復帰。その年のオフに読売ジャイアンツにテスト入団。再び日本でプレーすることになった。
2003年はロドニー・ペドラザ、コリー・ベイリー、ゲーリー・ラスの保険的な扱いだったが、先発陣の故障とペドラザやベイリーの不調で一軍に昇格。4月24日の対ヤクルト戦で先発登板し、5回2失点でプロ初勝利を挙げる。その後の登板では結果を残せず二軍に逆戻りとなったが、年俸が格安ということもあって翌年も残留となった。海外プロリーグの経験がなく、ダイエー時代の一軍出場は1試合のみだったため、この年は新人王の資格が認められていた。
2004年はオープン戦で結果を残し、開幕一軍を勝ち取る。来日したニューヨーク・ヤンキースとの練習試合でもリリーフ登板し、デレク・ジーターにホームランを打たれている。前半戦は崩壊状態のリリーフ陣をブライアン・シコースキーと二人で支え、また先発ローテーションの谷間で先発も務めた。しかし、もともと右肘に不安があった上に酷使されてきたツケが来て、中継ぎ登板から中2日で先発した6月20日の対阪神戦後、右肘を故障。シーズンの残りを棒に振り、そのまま退団となった。
2005年1月4日、韓国プロ野球の斗山ベアーズに入団し、初年度に先発で12勝を挙げている。その後、2008年までの韓国通算4年間で49勝を挙げ、斗山にとって不可欠な存在となった。しかし、2009年シーズン開幕直前にソウルの地下鉄駅の階段で転倒し腰を骨折。長期離脱が避けられなくなったため解雇を言い渡され、直後に引退を表明。
プレースタイル・人物
140km/h中盤のストレートとスライダー・カーブなどの変化球を投げる。
巨人時代は年俸が格安だったこともあり、川崎市の読売ジャイアンツ球場近くのアパートを借りて住んでいた。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB
- 初登板:2000年7月19日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏1死に4番手として救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に初芝清から
- 初先発・初勝利:2003年4月24日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、5回2失点
- 初セーブ:2004年6月1日、対中日ドラゴンズ6回戦(東京ドーム)、8回表に2番手として救援登板・完了、2回無失点
背番号
- 60 (1999年 - 2000年)
- 93 (2003年 - 2004年)
- 30 (2005年 - 2009年)
脚注
関連項目
- ワシントン州出身の人物一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)、Baseball-Reference
![LAKOLE(ラコレ)の「TAGランチョンマット[オーバル] / 950967(ランチョンマット/テーブルウェア)」 WEAR](https://c.imgz.jp/814/59888814/59888814b_51_d_500.jpg)



